週末のこと 「その3(3/3) :洗車と疑似科学」

essay

週末シリーズは最後。

変なタイトルですが、つまりは…。(以下に続く)

とりあえず「疑似科学入門」という新書を読んだ感想です。著者はたぶん京大か阪大の先生だったのかな、池内さんという物理学者の方が書かれた本です。

読み終えて、自分も意外や意外、疑似科学的な考えや発想に陥っているかも、そう感じました。ちょっと今手元に本がないからうる憶えですが、本の中において、著者は疑似科学を3種に分けて論じています。

「第一種疑似科学」

いわゆる占いとか超能力とかそういった類

「第二種疑似科学」

まったく科学的根拠に乏しいにも関わらず科学用語を濫用・誤用しいかにも科学的であると主張する類。マイナスイオン効果とか。

まあ、正直この第2種までは普通です。科学者としてさすがだなという意見は多々ありましたが、おおむね「そうだよね?」とありきたりの想いで、それ以上のそれ以下でもなかったです。

しかし、第3種はちょっと普通の疑似科学解説本とは違う気がしました。それは、以下のように定義していたからです。

「第3種疑似科学」

現代の科学が苦手としているようないわゆる「複雑系(非線形)=要素還元主義(線形)で説明できない系」などに対し、「科学では限界があるから」ということをあえて利用することで、盲目になること

ちょっとこの定義は僕自身が内容を思い出しながら書き下しているので、若干本文の内容と異なるかもしれない。が、そんなに見当外れではないとは思います。

これは一見するとなんだかわからない。うまく自分自身説明できるかわからない。けど、本文で出ていた例を少し上げて説明してみます。

地球環境問題、地震予知、そしてBSE、これらが主な事例だったと思います。

結論から言うと、といっても一般的な結論をうまく代弁できないので、地球環境問題をからめて述べると、「確かにCO2犯人説は明確に科学的に地球温暖化の主要因であると断言できるわけではない。しかし、だからと言ってCO2削減を目指すことは意味がないと結論づけるのは極論といえる。現時点の科学力では解明できていないということは、少なくともCO2が温暖化を深刻化させる『可能性』はゼロではないとも解釈できるのだ。よって、たとえ些細なことであってもきちんと意識して検証すべきだ。」 ということです。

複雑系であると、ちょっとした振る舞いでも大きく結果が異なってしまう、であれば些細な可能性も単純に否定することは危険だ。こういうことが割と行政で行われているのでは、という疑問を提示してます。

科学を過信しすぎるな、そんなニュアンスもある気がします。現在の科学では証明できないだけであるにもかかわらず、「それは科学的ではない」的な発想を持って、さまざまな可能性について真摯に対応しない姿勢、それも「疑似科学」なんだと。

(これはほぼ本文からの引用)確かにアル・ゴアは、いろいろ間違ったことも言ってる、けど彼はそれなりによく調べているし、十分的を得ている議論だってある。完全に信じるのは危険だけど、部分的には信じるに、理解するに値するものはあるのだ、と。

こういう姿勢は確かに自分には希薄だった気がする。どうも自分の説に有利なものを強調する傾向、ある意味とても人間的とはいえる傾向、こういうものがあったことは否定できまい。

非常に勉強になりました。このように自分自身もう少し柔軟にそして視野の広い人にならねば、そう考えさせられました。

ところで、「洗車」についてですが、とにかくこのところずっとしてなくてすっごく車が汚れていたので、土曜日に近くのスタンドで手洗いをお願いしたのです。30分ほど待たなければいけなかった、その時に読んだのがこの本、というわけです。「車洗っている間なんか読む本ないかな」と洗いに行く前に買っておいた、そんな本でもあったわけです。

タイトルとURLをコピーしました