国境を越えて

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http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080510/tnr0805101825007-n1.htm

によれば、ソ連とかナチスとか知らない若者が増えているらしい。高々映画試写会というごくごく限られたサンプルによる調査なので、あいからわず「マスコミ」らしいニュースだが、いずれにしても僕は、たとえばここに例示されている過去の国や団体について、そんなにきちんと理解しているわけでもないので、「まったく最近の若者は、…、知らないなあ」的なことは言えないし、言うつもりもない。

さて、このところ、wikiでずっと世界史の勉強をしていた。近代史、現代史を勉強している。きっかけは確かにいろいろあって、

・ヨーロッパをドライブしたとき、国境を何事もなく通過できる「すごさ」を改めて感じた。

・アウシュビッツに行った時に感じたことをもう一度思い返してみたとき、どうして「民族」に直接関連する原因で大量虐殺されたのかが、日本人の自分にはなかなか理解・実感ができなかった。

・「プラハの春」というものを具体的にはどういう事件かわかっていなかった。

・そもそも、共産主義、共産党一党独裁、というものはなにかわかっていなかった。

・何気なく日経新聞を見ると、クロアチア旅行の広告が載っており、イタリアから近いから、来年はイタリアの東部・北部、そしてスロベニア、クロアチアツアーにしようと妄想していた。

・そもそもスロベニアはともかくクロアチアは車で行けるのかな。

こうしたことを思って、とにかく行き当たったのは、旧ユーゴスラビアの歴史だった。

世界史で習って覚えていたのは、「チトーによるパルチザン闘争により東欧諸国では唯一、ソ連の力を借りずにナチスから国土を奪い返した」ということ。なので、他の東欧諸国よりも違った形での社会主義国家が形成された、ということ。

習ったのはチトーが生きている時代まで。そう、死んだあとからが本当は大事。ここから劇的で悲惨な歴史が始まる。

たとえば、クロアチア人、セルビア人、ムスリム人、アルバニア人、ボスニア人、何がどう違うのか説明できるか?僕は調べるまでできなかった。そして調べてもなお、やっぱり実感はわいてこない。が、少なくともここを押さえておかなければ、コソボ問題は絶対に理解できない。

東西の通過点であるバルカン半島には、さまざまな宗教や民族の文化が融合して素晴らしい歴史的建造物があると聞いている。そういうところを実際に目で見てみたい。

でも、はたして今回の旅行のように車でこうした国々の国境をまたぐことができるのか。答えはNoの部分がとても多い。旅行で国境を超えるという視点であっても、さまざまな歴史、宗教、それに基づく問題、そういうことと無関係でいられなくなる。

逆に何気なく国境を通過できるEUの素晴らしさもまた、こうして実感できるのかもしれない。

ソ連やナチスについて考えると、とりあえず実際に起こった歴史だけでもたくさんなるのに、単純にソ連やナチスという言葉を知らないからという理由で驚く大人たちは、どれだけ知っているのだろうか。

言葉だけ知っているのは、ただの偶然のような気がするし、その言葉を知ってる知らないは、まあ知識なのかもしれないけれど、教養でも教育でもどちらにも関係ないと思う。

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