あらためて信念・方向性とかって必要なのかなあ?と思うこと

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友人の披露宴後、会場近くのカフェにて撮影 (2009年11月28日)

土曜日、日曜日は、リトルな週末。実は意外にも久しぶり、土曜日は団内カップルの結婚式(後日日記書く予定)と日曜日は朝から夜まで練習などなど。

ビジョンを立てるということ

突然話題は変わりますが…

例えば、自分のキャリアでもそうなんだけど、ビジョンって言うのかな、よく社会人になる、なる前の就職活動中なんかに、「3年後どうなりたいか」をきちんと考えておくこと、とか習ったりしますよね。

これは社会人としてとっても大事、具体的にこうなりたいという目標そのものよりもむしろ、そう考えることができる能力を培っておくことが、一番の意義じゃないかなって思います。

一応ビジョンなんで、ある程度の妄想度はあってもいいと思うけれど、それなりに現実的ではありたいですよね。

でも、こうしたビジョンを築き上げることは、ほんとに「初期」のころだけのような気もしています。ある程度の中堅なり、経験を積んできた個人・団体が、闇雲に初期の頃の感覚でビジョンを立てるのは、どうやらあまり効果がないのかなあ、と最近思っています。

そういえば、ここ最近、不景気ってこともあって転職とか考えなくなりましたが、最近自分自身のキャリアに関するビジョンを更新しなくなってきました。これまではいつでもどこでもいけるように、わざわざ文書化してたくらいなのに…。ある意味仕事が安定しているってこともあるのですが。

正直、これから先続くキャリアについての方向性を見定める必要はあるとはいえ、今までのような方法でビジョンを立ててもそろそろ意味がなくなってきているなあ、とうすうす感じているからだと思います。

いまさらながら、おそらく自分のキャリア形成の初期フェーズは、とっくに終わっている、ということです。

初期フェーズを終えて

さてさて、ちょっと脱線しましたが、昨日の午後はリトルジャックの全体会議がありました。具体的な内容はかけないのですが、今後の方針に関わる会議、とでもいいましょうか。大変意義のある会議だったと思います。

会議後、その延長戦というか、一部の人と、「これからの方向性をどうするのか」的なお話をしていました。

こんなとき、ふと上に述べた、自分自身の、初期フェーズを超えた次のビジョン作成についての停滞・閉塞感を思い出しんです。

もはやいうまでもなく、リトルジャックという団体は、初期フェーズは脱しているわけです。リトルジャックは今ではもう十分経験を積んだオーケストラであり、ゲーム音楽の演奏会を開くということだけを見れば普通に開くことができるわけですから。さらには念願だったパイプオルガンとの演奏会も実現できたわけです。

ひとつの時代が終わったと言ってよいでしょう。

価値観が異なる個人的感情の表面化

初期フェーズをクリア、特に数年がかりのプロジェクトなどを達成してしまうと、参加者それぞれが、再び新たに「この団になにを求めていくのか」を再考しだす気がします。

参加者がこの居場所に対して何を求めるのかを考えること、これはとても大事なことだと思います。

でも、これがエスカレートすると、過剰にこの団に可能性なり期待を求めすぎてしまうのも事実です。

リトルジャックオーケストラに限らずどの団体でもきっとそうなのでしょうが、当たり前ですがそこにはひとつの「社会」が出来上がっています。従って、肌が合う合わないといった個人差がどうしても生じてしまう。

初期フェーズを超えたとき、雰囲気なり方向性なり、この団体に求めるもの、関わり方の「個人差」が急激に顕著になってくるとでも言えるのでしょうか。

というわけで、こんな状況で「ひとつの方向性」というものを、少人数の人たちが求め決めだすと一体どうなるのでしょう。

結局のところ、感覚なり感情でこうしたコミュニティーに接しているのが現状ですし、それは当然のことで別に悪いことではない思います。そんな中、アマオケというのは、案外一部の人間の意向で動かせてしまうもの。だからこそ、いまこの段階で方向性を決めてしまうと、その方向性なり方針に合わない人は辞めざるを得ない…。

実はそれでいいのかもしれません。それでも、やっぱりある種の淘汰なわけあり、従って、どうしても犠牲になって団を去らざるを得ない人が出てくる。実際、我々の間でも起こっていますし、それは決して今に始まったわけではないです。

とはいえ、このことを「ま、コミュニティってそんなもんだし」の一言で片付けるのもそれはそれで寂しい気もするのです。

感情的な違いが表面化するということは、予想以上に恐ろしいと思いますね。状況にもよりますが、最悪の場合、分裂・決裂・消滅とか、こうしたところから始まるじゃないですか。

感情性の強い信念は必要?

というわけで、根拠はないのだけれど、ある程度成熟しつつあるコミュニティでは、少数の人間が方向を決める、そういうのは、団の運営上ある程度は仕方ないにせよ、極力避けるべきではないのかな、と考えるようになってきています。

だからといって、これが解決策になるか、とてもそうは思いません。

しかし、とりあえずは、ただ、なんとなく、演奏会を開く、このくらいのスタンスでいい気がします。2,3年くらい、気楽にやる、というのは、そんなに悪くない姿勢だと考えています。

難しいことは考えなくていい、合奏してたら、そんな面倒なことはすっかり忘れて演奏を楽しんでたと思うし。まさに昨日の練習のように。そして自然と楽器奏者として、アンサンブル奏者としての向上心が、今後のよりいっそうの上達を欲し始める、この流れに素直に従っていけばいいのではないでしょうか。

ということで、とりあえず今は、あまり先のことはあれこれ考えずに、たとえ、演奏会がルーティン化、陳腐化しても、それはそれでいいんじゃない?、このくらいの感覚でありたい。

何度か申し上げてるのですが、強い信念なり野望を持って進む、そういうリーダーシップを発揮する、というのは、21世紀の組織論では主流ではないと思います。ある組織の中で、自分なりのビジョンを実現することは大事ですが、それを組織のコンセンサスにあえてしなくてもいい、分離して捉える、それが今の時代の自然な流れのような気がします。

このほうが感情の衝突よりずっとましだと思うのですが、どうでしょう??

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