今日は午後から外出、13時30分から17時30分まで六本木で某外資系金融機関主催のカンファレンスに出ていました。毎年1回この時期にあるのですが、すべてではないもののなかなか新しいネタがいっぱいで、今回で3年連続で参加しています。
かなり面白いネタもいくつかあったのですが、今日はセミナーだけでなく、今行われている「事業仕訳」のtwitterによるリアルタイム実況中継ならぬリアルタイムつぶやきにはまってしまいました。
twitterにはハッシュタグというものがあって、投稿するときに #keyword と単語の前に »# »をつけることで、このkeywordをタグにタイムラインを確認することができます。
まずはとにかくtweetie2というiPhone用twitterクライアントが非常に使いやすかったです。
まず、#shiwake3 の書かれたコメントを開くと « #shiwake3″というところがクリックで来て、それをクリックして開いたのが上の図の左側となります。そしてこの画面から右上の投稿ページを開くボタンを押すと、上の図の右側のように自動的にハッシュタグがふられた状態で画面が開きます。
すばらしい、これは便利です。
まあ、同時並行で他のことしたり内職するのがモットー?な僕ははじめは単にTLを眺めているだけでしたが、次第にあまりにも白熱するshiwake3のTLに夢中になってしまいました。
もっともセミナーは半分くらいは、昨年からの金融危機のことをつらつらと語る、すでに何度も聞いたことがあるような「つまらない」話題だったので、よい退屈しのぎとなりました。
科研費に関する内容であり、今後の日本の科学と技術(あえて分けて書いてます)にかかわることであり、ものすごく関心が高かったみたいです。shiwake1 shiwake2というタグもあったようですが、shiwake3が最も白熱していたようです。
とにかく投稿数が多いこと多いこと。数秒単位でめまぐるしくタイムラインが更新されていく、リアルタイムのすごさをまたしても実感しました。これはなかなか体験しないと説明できないかもしれません。すでに言い尽くされてるとはいえ、リアルタイム性についてはもうこのメディアにかなうものはいまのところないと言えるでしょう。
さて結果なのですが、
競争的資金(先端研究)[予算] 科学技術振興調整費(外5)予算は整理して縮減/競争的資金(先端研究) [制度]一元化も含めシンプル化/競争的資金(若手研究者育成)予算要求の縮減/競争的資金(外国人研究者招へい)予算要求の縮減
と軒並み「縮減」となったようです。
自分が見た限りでは、shiwake3 でつぶやいていた方の大半は、こうした結果になったことについて否定的であり、これからの日本の科学そして技術はどうなっていくのか憂慮している、という印象でした。
もちろん自分自身も同じ意見です。そりゃそうです。
しかし冷静に考えてみると、残念ではありますがなんといっても「日本」ですから、こうしたある種の”日本的発想”は当然予想された結果になった気もしますし、きちんと調べていないので根拠はないのですが、確かに予算が今までよりも縮減されるとはいえ、似たようなことは過去いくらでもあったのではないかと思うんです。
そんな科学リテラシーの低い国家日本が、なぜだかわからないのですが、滅びずに何十年もの間、科学技術立国として繁栄してきているわけです。確かにアメリカの一部の大学には負けているかもしれませんが、それでも世界的に見れば、科学力も技術力も決して劣っているとは到底思えない。
もちろん、こうした分野により予算がまわって、これまで以上に強い科学技術立国が実現できるのかもしれないでしょう。しかし、ものすごく楽観的に考えますと、結局日本人は追い込まれてもなんとかうまくやって世界で活躍、世界に貢献していくのではないか、そんな風に思います。
だって、いままでもそうだったもん。
shiwake3での議論、みなさん意見は至極当然のことであり理想的であることは間違いありませんが、まあどーにかなるんじゃないの、くらいな気持ちで見守るのは、考えが甘すぎるのかなあ…。
くどいようですが、もちろん、若手を含む研究者のモチベーションをさげることは決して見逃せないとは思います。
でも、こう考えないで理想を実現させるならば、国民全員の「科学リテラシー」を高めて「科学リテラシー」の高い政治家を当選させるしかないですよね。
また別の考え方をすれば「そんなに頑張らない」を目指すのもよいのかもしれません。無理に世界をリードする科学技術立国である必要性があるとも限りませんし。「そこそこ」技術力があればまあ生きていける、そんな考えもありかと思います。
ちなみに、かく言う自分も昔は物理学者を目指した身であり、さらには精密機械系メーカーの「先進コア技術研究所」で研究員をやった経験があります。このとき思ったのは、そんなに科学技術(今度はあえてくっつけて表現します)には「サイエンス」はそんなに求められていないのかも、ということです。サイエンティフィックな議論をしても不毛に終わることがあまりにも多く、それがこの職を離れた原因ともなっているわけですが、そのとき基礎研究は別に日本人がやらなくてもいいのではないか、とも思ったりもしました。
ということで、どうせ実現できない、いや言い過ぎ、実現が難しい理想論であれば、ほどほどに頑張って、ほどほどに教育されて、ほどほどに科学リテラシーをもつ、ゆる?い国家でもいい気がするわけです。
最後に。
いろいろな考えが交錯していて、そしていずれにしても残念な結果に終わったとはいえ、こうした話で盛り上がったこと自体、とっても価値があることだし、そしてなによりとても楽しかった、そう思いました。民主党は問題いっぱいありますし、正直日本の将来を任せられる政党とは現時点では一切思いませんが、それでも着実に何かが変わってきている、この事実は素直に受け止めたいです。